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店主のつれづれなるままに コアアートスクエアからのお知らせ

2010年07月23日

電子書籍元年に思うこと

書物は本質的に〈物〉なのだと思う。
最近、新聞などでしきりに電子書籍の話題がとりあげられて、紙の本に未来がないような印象を撒き散らしている。いまはグーテンベルグの活版印刷術の発明以来の大変革期であることに違いはないが、紙の本にこだわる意義がそう易々と消えるはずはないし〈書物〉がなくなるはずもない。

書家の石川九楊氏は、「言葉は本の手触りや質感に根差し、色やにおいを引き連れて立ち上がる。ツルツルの触感しかない端末では、情報は伝わっても、言葉は立ち上がるまい」という。同感だ。
書物の重さ、大きさ、装丁、活字の大きさ、かたち、組み方、レイアウト、果てはその匂い・・・・・。言葉はまさにそうした〈物〉の属性に拠っている。書物はひとつの完結した質量ある宇宙なのだと思う。

過日、国立新美術館のグッズ売り場に立ち寄った。たのしい小物や文房具などにまじって、さまざまな本が居心地よくその間に並べられている。
民芸というテーマでくくられたコーナーには、民芸雑貨に囲まれてバーナード・リーチの『日本絵日記』という文庫本が積まれていた。バーナード・リーチ自筆の手書き文字がタイトルに使われ、彼の描いた素描がその下にあしらわれたシンプルながら人なつこい表紙に思わず手を伸ばしてしまった。

パラパラとページをめくると、そこにもリーチの風景やら人物やらの素描がいくつもちりばめられている。トランプを切るときのように右から左へ、左から右へとページを繰る。
実に面白い内容の書物であるという主張を、この本の重量が、活字と素描の均衡の具合が、活字の組まれ方が、そしてその厚さが、手触りが、全存在をかけて表現し訴えている。

〈物〉として存在する価値のある書物というものは必ずある。〈書物〉である必要性のない本が多く流通してきたところに電子書籍の参入の余地はあるのかもしれないが、その中身は概ね情報にしか過ぎない。そうした情報本が電子化されることにまったく異論はない。情報にとって大切なことはまさにその情報自身の価値であり、意匠ではない。
だが意匠を必要とする〈書物〉という、器を必要とする言葉たちを(例えばそれは詩や小説といったものであろうがなかろうが)ぼくはこれからも求め、買い、読み続けるだろう。例え電子書籍を便利に使うことがあったとしても。

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